ネットはともだち
中学生くらいから、何かがおかしいとずっと感じていた。その頃はうつ病がようやく一般的に語られるようになった時代だったように思う。
精神病=うつだと思っている人もいたかもしれない。そんな時代。といってもそんなに昔でもない。
とにかくよくわからない何かの正体を求めてインターネットで色々調べることが増えた。
うつ、躁うつ、統合失調症、どれも当てはまるような違うような気がして、自分はなんなのかと悩んでいた。
自分はまだ学生だから大したストレスなんてないはずだし、テレビで見るようなネグレクトや身体的虐待もほとんど受けていない。
みんな大変な世の中で私なんかが辛いはずがない。
そう思っていたから、辛いのは自分の心が弱くてわがままなだけだと思い至り落ち込んだ。
子供にとって世界は家庭と学校。
我が家は親戚付き合いもご近所付き合いもほとんどない家で、親の言うことは全て正しいのだと当然のように思っていた。
私は幸せなんだと何度も言われた。ポリアンナの真似をして、いつも幸せ探しをしていた。
屋根がある幸せ。
ご飯が食べられる幸せ。
布団がある幸せ。
今日を乗り切れた幸せ。
私はなんて幸せなんでしょ。
幸せで健康で健全な自分がうつ病かもしれないだなんて考えるのもおこがましい。気のせいだ。
そう思いながらも、体調がどんどん悪くなっていった。
貧血や過呼吸、頭痛吐き気腹痛がいつもどれかしらあった。思春期にはよくあることだと納得した。体調が悪いと親に言うと怒られるので黙っていた。
髪を抜くくせがひどくなった。部屋を汚すなと怒られて申し訳なかった。
爪を噛むくせも恥ずかしかったがやめられなかった。
常識も自分の気持ちもわからないことだらけだった私は、なんでも本やインターネットで調べるようになった。
辛いときに知識をくれて寄り添ってくれたのはネットくらいだ。死にたいときは死にたいと検索して自分の気持ちを探したりした。
機能不全家族、アダルトチルドレン、心理的虐待などの言葉はそうした中で知った言葉だ。
抜毛癖や爪噛みが自傷の一種だというを知ったのはもう少し後のこと。アムカがやめられなくなり自傷行為について調べた時のことだったと思う。
子供のSOSを親が責めなかったら、誰か気づいてくれたら、少しは何か違ったかな?
今更仕方ないことだが、せめてあの時にちょっとでも変化があったら、今腕に残る汚い傷跡はなかったかもしれないと思ってしまう。
まあ知らないことはしかたないか。
でも理解する努力を怠るのは罪だ。辛いことにも向き合おうとしない限り負のループからは抜け出せない。
ただ、一人で向き合うということは想像以上に苦しみを伴う。
もし誰かが少し手をひいてくれたなら、もっと上手に抜け出せていたかもしれないな、とは思ってしまうこともある。
いや、ひどく依存して悪化していた可能性もあるか。人のせいにして申し訳なかったね。
昔から特技は自問自答、自己弁護、自己完結だ。どうせ誰も私の話には興味ないから。産んだ親さえ。
大人になって考える。私のような子供が自分の近くにいたらどう感じるか。何ができるか。
今の私ではまだうまく手を差し伸べる自信がない。でも、子供が子供としての最低限の権利を全うできる世の中になってほしい